「Runner」(ランナー)は、1988年10月21日に発売された爆風スランプ12枚目のシングルである。ボーカルのサンプラザ中野さんは、アミューズ所属で、KOBAMETALさんがマネージャをやっていた時期もあるようです。一緒に出演している動画をいくつか見ました。
サンプラザ中野くん「Runner (平成30年<2018> Ver.)」
サンプラザ中野と、KOBAMETALさんの会話。(2010年)
「 http://web.archive.org/web/20100505211028/http://ir.amuse.co.jp/interview より」
サンプラザ中野くんWATCHING アミューズ VOL.8 前編
「アミューズの中で、一番おしゃれな社員じゃないかな?」とサンプラザ中野くんが太鼓判を押すのが、第2マネジメント部第2制作室長の小林啓さん。「株主の方もご覧になる対談だから」と、この日はシックに決めてきましたが、いつもは赤や紫などの彩色も上手に取り入れたファッショナブルな服装が多いそう。中高時代のバンドの話から、団塊ジュニアならではの粘り強さで達成した仕事のエピソードまで、笑いの渦に包まれた対談になりました。
大学時代はモテないバンドマン?!
今は就職超氷河期だけど、就活中の学生はきっと勇気を得ると思いますよ。こんな自由な人でも一部上場企業でやっていけるんだなー、と。
ホントですね。この対談、私が登場していいのか心配です。
大学では何を学んでいたの??
政治経済です。
えーっ。そうなんだ。初めて聞いたよ。そういえば僕も政経だったな。
でも、バンドが楽しくてしょうがなくて、就職する気もほとんどなかったんです。
中学はブラスバンド部でしょ? ラッパ持って、神宮球場に野球の応援に行ってたって言ってたもんね。
よく覚えてますね。でも、高校からは完全にギターばっかりやりだして。
歌を歌ってたなら…聞かせろ! 見せろ―! ビデオとってあるだろー!!(笑)
いやいや。歌ってなかったし、そういうの、ないんですよ。それに、当時はバンドよりDJのほうが流行っていて、僕たちは全身まっ黒でギターしょってたから…。
女の子にはもてなかった!
そう、完全にもてないですね。郵便局の仕分け作業とか小学生の家庭教師のバイトで稼いで、そのお金をバンドにつぎ込んでました。
俺も家庭教師、やってたよ。この頭で! 髪の毛を剃ったら喫茶店は辞めさせられたけど、家庭教師はクビにならなかったから。で、どんな音楽をやっていたの?
ロックです。中野さんの後輩でもあるデーモン小暮閣下みたいな感じで…。
じゃ、顔を塗ってたのー?
塗っていたときもありましたね。
ええ~っ! それは写真が必要ですよ。必須です。近いうちに公開してくださいね。
いやいや、写真はないですよ(笑)。爆風スランプを始め、ちょうど日本のバンドシーンがいちばん熱い時期だったけど、僕はメタルみたいなゴリゴリしたほうで、一部のマニアックな人にしか受けない、完全にもてないほうでしたね。
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